2005年4月・・・今月の法話 「癒しているつもりが、癒されていた!」

 

「赤ちゃんに抱かれているのかもしれず」 洲本市 浜田総子さん

 

平成17年3月6日(日)の毎日新聞朝刊に、仲畑流万能川柳2004年年間大賞の句が掲載されていました。
50万句を超す投句の中から、大賞には、兵庫県洲本市の主婦、浜田総子さん(36)の句が選ばれました。

評者のことばに「育てているつもりが育てられていた。癒しているつもりが癒されていた。
助けているつもりが助けられていた。こんなことが実にたくさんあるものです。」とありました。

 

「ほほえみの保育」という話を以前聞いたことがあります。

その中で鳥には、臨界期(注1)というものがあり、生まれて初めて見る動くものを、自分の親と思うそうです。
実は、人間にも臨界期があるといい、乳幼児期にほほえみをかけてあげることが大事で、大きくなってからの性格によい影響を与えるとのことでした。このことから、乳幼児への接し方の大切さに気づかされます。

 

まさにこの「ほほえみの保育」は、仏教でいう「和顔愛語(わげんあいご)」ということばにつながるのではないかと思います。

この「和顔愛語」ということばは、浄土真宗の所依の経典の『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』に出てくることばで、「和顔=穏やかな、にこやかな笑顔」や「愛語=優しい思いやりのあることば」をもって人に接することを心がけましょうということです。

また、このことばは『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』に説かれている「無財の七施」(注2)に通じるものがあります。
人に施す財物(お金やもの)がなくても、七つの施しができますよと勧めています。
その中の和顔施(わげんせ:和やかな、微笑みのある顔で接しましょう)や
言辞施(ごんじせ:思いやりのこもった、暖かいことばをかけてあげましょう)がこれにあたります。

また、「貧しく施す物を持たぬ時は、他の人の施す姿を見て喜ぶとよい。
ともに喜ぶ心は、布施と同一である」とも言い、このことばは、仏教の深さを知らされることばではないでしょうか。

 

? このような話を、よく法話会で話していたところ、2月の末に、知り合いの初節句のお祝いに呼ばれたその席で、あらためて気づかされる出来事に遭遇いたしました。

おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、親類の方、ご近所の方・・・みんなが、幼い赤ちゃんの笑顔やしぐさの一つ一つに、ほほえみ癒されていました。

今まで、どちらかというと、誰かに与えること、施すことの大切さばかりを考えていましたが、赤ちゃんの笑顔は、私が誰かから与えられることによって得るものの大切さに気づかせてくれました。

 

それからしばらくして、新聞で「赤ちゃんに抱かれているのかもしれず」というこの句を目にし、あのときの私の気持ちそのものであるなあ・・・・、と味あわさせていただきました。

住職 堀田了正 

注1 「臨界期」

人(動物)が成長、発達していく途中で、ある時期に望ましい環境が整っていないと、人(物)として育つ事ができない事。この時期を超してしまうと、それぞれの能力を身につける事が非常に難しくなってしまいます。この時期のことを、「臨界期」(最近は、敏感期)と呼びます。

注2 「無財の七施」

   仏教でいう布施には、財施(ざいせ)、法施(ほうせ)、無畏施(むいせ)の三つがあります。しかし、この施すべき財物や説くべき教え、恐れを取り除いてやる力がない人でも、できる布施、それが「無財の七施」で、次の七つをいいます。

 

   1 眼施(げんせ)・・・・・・・・ 暖かい、優しいまなざしで人に接すること。

2 和顔施(わげんせ)・・・・・和やかな、微笑みのある顔で接すること。

3 言辞施(ごんじせ)・・・・・・思いやりのこもった暖かいことばをかけること。

4 身施(しんせ)・・・・・・・・・・自分の身体をもって奉仕を行なうこと。

5 心施(しんせ)・・・・・・・・・・心のこもった思いやりの心で接すること。

6 床座施(しょうざせ)・・・・・座席を喜んで譲ってあげること。
7 房舎施(ぼうしゃせ)・・・・雨露をしのげる場所を与えてあげること。